2017年1月10日 (火)

リハビリ

 骨折から4月が経過しました。

 いよいよ来週明けには右足甲のボルトを抜く抜釘手術入院がある。余計なものは体内に残したくないので金属疲労で折れることがあるからと主治医に言われたのでそれまではランニングは我慢しています。

Sdsc_0351


 ですが、特に左足の脚力を強化しないと何か歩いていても違和感が拭えません。早く歩かないでも距離を歩くようにしています。ランタスティックを使い記録し励みにしています。この3連休前も含めるとフルマラソンに匹敵する距離は歩いたことになりました。(この時期に外歩きが出来る年も記憶にないですね。本当に雪が全くないのです。)

 抜釘手術後の状態にも依りますが、4月下旬の地元のハーフマラソン大会にはエントリーし完走を目指したいと考えています。

 本業の障害年金では3連休後のためかご相談が普段の倍以上お寄せいただいております。いきなり依頼もあり、今年は良い年になりそうな予感がします。

2017年1月 2日 (月)

新年のご挨拶

Pixta_9330863_s


 あけましておめでとうございます。

 昨年中は、拙ブログ・障害年金情報サイト「障害年金119」をご覧くださいまして誠にありがとうございました。また、障害年金申請代理や申請サポートのご依頼を全国の皆様方から頂戴できましたことに御礼を申し上げます。

 本年も障害年金専業の社会保険労務士として多くの皆様の受給のお手伝いを全力で、そしてリーズナブルな料金で行って参ります。

 障害年金119 

今成 一男

2016年12月10日 (土)

あれから3月が過ぎました。

 両足骨折から漸く3月が過ぎました。ランニング中の車とのトラブル・接触事故を恐れる気持ちが強かったことが原因だったように思います。 

 9月6日、仕事が終わってからランニングを始めるので暗くなってしまい真っ暗な遊歩道では、タヌキなどの動物とのトラブルになったりすることを回避するため、普段は通らない県道をかなり明るいヘッドランプを装着、工事用の反射テープのついたベストを着用した上で走り始めました。

 数日前、車が走行する直前を横切ったのではなく、私が草刈り機を背負い道路の半分を横切っているにもかかわらず、後から猛スピードで来た車から「早く渡れ!」と執拗に罵声を浴びせられたことがありました。

 県道の端の白線外をランニングで走行していても、意図的にスピードを落とさずギリギリにすり抜ける車が5,6台の内の何台かはいます。危なさそうだからと道路端の白線外の舗装されていない草むらを走ったりしていました。Sdsc_0255_2

 短い陸橋に差し掛かりました。その下を遊歩道(旧栃尾鉄道線路跡)が通ります。当時、前方には何台かの車がこちらに向かってくるのが見えました。その陸橋道路の脇の白線内を走ったら危ないと思い避けた瞬間、右手先には歩行者用の通路が途切れ、ガードレールや標識も何もなくそのまま転落していました。

 3メートルほど下のコンクリート舗装の遊歩道に飛び降りてしまったのでした。私が飛び降りてしまった右側は柵などはありません。左側は遊歩道を挟んで両側にガードレールが設置されています。

 飛び降りてしまった当初は、まさか骨折までしているとは思わず痛みを我慢して近くの市立体育館までたどり着きました。最後は這って行きました。自宅に電話をしてもらい迎えに来てもらって入浴・着替えの後病院へ行くつもりでしたが車の中で動けなくなってしまいました。

 両足骨折と告げられてもさほどでもなかったのですが、即日入院、短くても3週間、場合によってはひと月半の入院が必要と告げられた時は流石に瞬間的に眩暈がしました。9月末で退院後も10月まで外出は車イス。装具を付け両足とも付けない状態が10月中旬まで続きました。

装具のパーツを変えたりした後10月22日に装具をつけなくても良くなり、今月2日から自立歩行の許可が出ました。近くの刈谷田川の遊歩道や市立体育館内のコースなどを歩くようにしています。また、温泉施設にも通っています。

 装具を外せるようになった日から車の運転もできるようになり徐々に活動範囲が広がりましたが、松葉づえが欠かせませんでしたし、杖も使えないような状況では9月末の退院後と同じ状態を強いられました。

 例えば入浴、着替えから浴室内での移動は足を投げ出した状態で両手だけしか使わずに行うしかありませんでした。冷えた浴室の床を尻を擦りながらだと尻の冷たさと尻の皮の痛みで何とも侘しい気持ちになりました。

 日常生活動作を自分の足でそれなりに自由に移動して行えるのとそうでない場合は全然違います。私の場合、両上肢は打撲の痛みはひと月以上続きましたが絶対安静とされた一日を除けば入院中も障害年金請求代理業務を続けることが出来ました。両下肢が使えず移動が制限される不便さを体験しました。

 仕事が忙しく外出も控えたために車イスも外来受診や年金事務所程度でしか使ったことがなかったのですが、車イスの車輪が空転したり前輪が乗り越えられないような段差等が結構多いことに気づかされました。体力やバランス感覚を備える若い人たちならこのようなバリヤもクリアーできるのかも知れませんが年配の方や上半身の筋力の弱い方たちだと介助する人が必要なのだと痛感しました。

両足自立歩行できるようになりましたが左足は歩き出すと筋がパツンパツンと音がし、痛みが出ることがあります。来月の中旬には右足のボルトを抜く手術で2泊3日の入院です。それが終わればジョッギングもできるようになるそうです。

Sdsc_0252_3

丹精込めて作った有機栽培のコシヒカリの収穫直前に入院してしまったために出来なかった稲刈りを妹夫婦が10月上旬に代わりに一部やってくれました。手で刈り、天日干しにしてくれたのですがそのままとなっていました。リハビリがてら4日に機械を動かしモミにする作業を家内に手伝ってもらって終えることが出来ました。

 両足骨折でマラソン大会(柏崎、つくば)への参加を断念したり、その他にもできなくなってしまったことは多かったこの3月間でしたが、本業には支障がなかったことは幸いでした。そして、コシヒカリ6袋を目の前にすると忘れ物が戻って来たような気持ちで素直に嬉しいです。

 

2016年11月13日 (日)

ガンと障害年金受給

 障害年金受給のご相談では、精神疾患の次に多いのがガンで受給できるか?が多いと感じます。65歳後の方もいらっしゃいますが、残念ながらガンの特性から請求資格がない方も多くみられます。

 でも、何年か前と比べると、ガンが障害年金受給対象だとご存じの方ばかりです。ネットの情報発信が増えた効果もかなりあるのではないかと思われます。でも初診日から1年6月経過していらっしゃらない方が多いです。

 例えば大腸がんで人工肛門を設置された方なら、障害認定日の特例で初診日から1年6月を待たずに請求できる場合がありますが、ガンだけですと請求はまだできないことになってしまいます。

 ステージⅣ、余命わずか・・・と宣告された方のご家族からのご相談もございますが、ガンは転移や進行の状況や余命で判定されないことが多く、障害年金受給では厄介な病気だと言えます。命に係わる病気なのに。

 その点もある程度ご承知の方が多く、最近の幣事務所の受任はほぼ100%(想定等級通り)です。ガンは障害状態の判断が適切なら障害年金の受給は難しいとは言えないと考えます。それが簡単ではないですけれども・・・。請求する時期の問題とも言えます。

 1年6月が経過した時点で即請求手続きを始めることが基本なのでしょうけれど、そうとばかりは言えないところがガンの請求の別の面からの難しさがあります。

 特に初診日に厚生年金加入の方で現状3級での認定も難しいが、近い内に該当しそうな方の場合、あるいは、初診日は国民年金加入で現状3級程度でも今後悪化し2級になる可能性が高いような方、このように今後悪化し障害の程度が重くなることが予測される方の請求時期の問題です。

 「今後悪化するのはみな同じではないか?」と思われるのではないでしょうか?「今後」ってどのくらいの期間? ガンの症状悪化の予測は困難ですが、あえて1年以内だとしかお答えできないですね。

 1年と言うのは、一度支給が認められると1年間は症状悪化してもより重い等級に変更請求(額改定請求と言います。)ができなくなるからなのです。1年待たなくてもこの請求ができるように改正されたのですが、その対象傷病にガンは含まれなかったのです。

 なお、死亡後にご遺族が障害年金請求される場合は、初診日から1年6月から9月までに受診された期間のカルテに基づいて作成された診断書でご遺族の方が代わりに請求することが可能です。

2016年11月11日 (金)

一人暮らし、フルタイム就労

 発達障害でフルタイム勤務(非障害者枠採用)、一人でアパート暮らしされる方の障害厚生年金3級ですが、支給決定を受けました。訴求認定でした。

 フルタイムで特に欠勤、早退・遅刻もない方で、これで認定されなかったら(再)審査請求もご依頼者様が望まれるのであれば必ずやり抜くつもりでした。

 担当の先生は、どうも障害年金手続きに社会保険労務士が介在することに嫌悪感をお持ちのようでしたが、面談なども私からは希望せず書面を提出させていただきました。

 主治医の先生とは(再)審査請求ではお世話になることもありますから、専門家ですしお世話にならなければなりません。その時は医師面談も必要かと思います。(お許しが出ればの条件付きです。)

 私は障害年金請求代理で診断書や初診証明等のいわゆる医証の依頼をして、この先生・病院は患者よりも自分の都合、独善的な考え、組織優先する不当な扱いを受けたことは片手で数えられるらいしかありません。

 発病日が初診日よりも遅い日付を書き、訂正を依頼するとまずは怒声を上げ、医学的な見解を述べるだけだった先生。初診日は私が決めると言ってそれ以上は聞く耳もたない先生。カルテはなくても受診データがあるのにハードコピーは渡さないと言い続けた病院くらいです。

 本題からずれてしまいました。就労の事実は事実として病歴就労状況等申立書には記載し、その状況を詳細に記述しました。ご依頼者様の生きづらさが伝わったと思いました。

 

2016年11月10日 (木)

ようやく2月経過

 両足骨折から2か月が経過し、松葉杖使用可能となりました。来週は右足の装具を使わなくても良くなるはずです。ようやく車の運転もできるようになり、活動範囲は広がります。

 でも、買い物に行くことは多分少ないと思います。入院直後の手術・安静指示があった数日以後はネット通販利用でほとんど済みましたから。実店舗に出かけてもあるはずの商品が品切れしていることが結構あります。

 そんな時は本当に時間と手間を無駄に使わせられたと感じます。ネット通販だったら、さすがに関東ではないので当日着は無理ですが、翌日には到着するものが多いから店まで行く必要性を感じなくなります。

 ネット通販利用は地元の経済活性化には全くマイナスですが、東京や大阪などの大都市に本社がある企業ばかりではなく、地方の会社も結構頑張っているようです。

 障害年金119も地方の社会保険労務士ですが、大都市周辺の先生方にも劣らない、いつでも、どこでも、繋がれる代理人として邁進したいと思います。

2016年10月30日 (日)

マラソン日和

 今日は第14回柏崎マラソン開催日でした。

 このところ雨降りの日が続いたのに今日は雲はあっても晴れています。ケガをしなかったら、昨年に続き完走、あわよくばサブフォー達成!(無理か?)を目指し走れたはずだったのにと少し悔やまれます。

Simg_1375
 この大会のエントリー締め切り日当日ギリギリで申込を終えた翌日に両足骨折してしまいました。骨折生活が当たり前の生活で慣れてしまったから、参加できない口惜しさも以前ほど感じなくなりました。

 現状は障害年金の等級だと1級の状態を脱しつつあるかなと言える程度になりました。来週の外来でどのくらいの加重のリハビリとなるかに期待しています。

 第14回柏崎マラソンに参加された皆様、お疲れさまでした。私も来年は参加したいと思います。

2016年10月15日 (土)

私の実りの秋は消えてしまった!

 残暑厳しい9月でも確実に秋の気配がありました。でも、9月6日で私の実りの秋はなくなってしまいました。本業の障害年金請求代理のことではございませんが。

 実は地元開催の柏崎マラソンと来月開催されるつくばマラソンに参加し、念願の4時間切りを目指して練習に励んできましたが、9月6日自宅からそう遠くない体育館脇の県道陸橋(5mもないような)をランニング中に安全のために路肩よりも30、40cmほど外側を移動したところ、ガードレールもなかったため3メーターほど下のサイクリングロードに飛び降りてしまい、右リスフラン関節脱臼骨折、左脛骨高原骨折で入院してしまいました。24日間で退院できましたが現在も外出は車いす利用で、全治3か月とのこと。

 参加予定だったマラソン大会はおろか1年位は長い距離を走れないようです。

 私がランニングで飛び降りてしまった右側はガードレールがないのに反対の左手にはガードレールが設置されています。入院して間もないころは自分の不注意を悔やんだものですが、警告表示すらない状態のままで知らずに飛び降りた私の不注意だけなんだろうかと思うと腹立たしくなって来ました。 

 それともう一つ残念なことは、今年から始めた米つくりを収穫直前で断念しなければならなかったことです。化学肥料や農薬を使わずに丹精込めたコシヒカリ1反8畝の収穫ができなくなってしまったことです。

Simg_03

 もともと稲作農家の長男で田植えや稲刈りなどの作業を手伝わされたことがありました。当時は体をすり減らすような重労働ばかりで希望が見いだせず、後は継ぎませんでした。今では大型の機械を使い大規模化していますが、将来展望が見いだせない状況は今も変わらないらしい。減反政策も数年後に消滅、昨年はTPP大筋合意など。

 私が通学した小中学校の周辺は田んぼが多く、夏休みが終わり2学期になると下校時には稲刈り仕事をしている脇を通っていた。稲を天日干しするから稲の匂いもする。この匂いが苦手だった。稲刈りを手伝うと汗がでてくるのは当たり前なのだが、稲の葉はギザギザで擦れると体に染みてくるのだ。仕事の辛さと嫌々やらされているから稲の匂いがすると条件反射的にひりひりする感じが思い出されてしまうからだった。

 そんな私が今年から稲作を始めたきっかけは、委託耕作をお願いしていた親戚の高齢化・健康不安と後継者不在でした。四角くない、面積が小さく、周りが住宅で囲まれているような半端な田んぼも一部あり、それも込みでは引き受け手がいないからです。それが合わせて1反8畝でした。稲作アレルギーも雪、雪国アレルギーと同様になくなったいた私は、どうしたものかと思案していたのですが自分でコメを作って食べてみようと決めました。

 背中を押してくれたのは、近藤康太郎さんの「おいしい資本主義」でした。本業(新聞記者)を疎かにせず、一日一時間だけ農作業の時間を割く「オルタナティヴ農夫」を私もやってみようと考えたからです。朝日新聞の連載記事「アロハで田植えをしてみました」の著者の体験のすべてを書き下ろしたものだそうで、連載されていることは知っていましたが内容を読んだのは本を買ってから。体験のすべてでもこのオルタナティブ農民は栽培法を具体的に教えてくれません。「生きることを”奪い返す”ための哲学」を語る本なのですから。

 初心者向けの実践的な本としては「週末の手植え稲つくり」が参考になりました。著者はフリーライターの女性です。「一日一時間」と「週末」の作業の二本立ての稲作をすることに決めだのです。3月、4月は本業の障害年金請求代理も多忙で、御柱祭も重なり田植えの準備も遅れがちで肥料などの資材調達もしないままでした。

 そのまま日にちが来て田植えまで終えてしまったので、化学肥料をゼロ、除草剤もその他の農薬も一切使わないコメ作りをしてしまうことになったのです。最初は一日一時間プラスα程度でも良かったのですが、隣に耕作放棄田がある小さな田んぼだけはその田んぼの雑草の種が流入するため雑草との闘いが本格化し、とても一日一時間では済まなくなり、週末じっくり時間を掛けても手に負えない状態に落ちりました。取っても次から次と生えて来るものです。その三角田んぼだけに労力と時間を取られその田んぼだけ放置しようかと何度思ったことでしょう。

 7月下旬ころから穂が出始め日に日に穂の数が増え、次第に首を垂れる光景を見ていると苦労が報われるように感じました。9月10日前後には収穫作業を始める予定でいたのですが、冒頭のようなケガで出来なくなってしまったのです。入院生活が落ち着き稲刈りの心配をする余裕ができた頃は雨降りの日が続き、とても機械を入れられるような状態ではなくなり代わりに収穫をしてもらうこともできなくなっていました。もともと重量のある機械が入ることを予定した水管理をしていないから尚更なのです。

 その後一部稲刈りをしていただくことができましたが、大半は収穫できないままの状態です。先日通院する際に隣の市でも収穫しないままの田んぼが車の窓越しに見えました。事情は様々だろうけれど、いずれにせよ勿体ないし痛ましい光景だと感じる人は多いのではと思う。治ったら手を加えたいと思っています。

 現在も両足で立てない状態のままで外出はほとんどしないがしても車いす。でも、デスクワークは全く問題なくできるのが救いです。障害年金請求代理の本業と読書の日々、わき目もふらずに仕事しろと言うお仕置きだと考えています。

 本業の実りは一年中ですからね。

 

2016年5月23日 (月)

平成28年御柱祭

このブログを始めたのが前回の平成22年御柱祭上社山出しの直後でした。

 あれから6年が経ちました。その間に東北大震災、今回の熊本地震と大きな災害に見舞

われた多くの方々がいらっしゃいます。

 このたびの熊本地震により被害を受けられた皆さまに、心よりお見舞い申し上げますと共

に、皆さまの安全と、被災地の一日も早い復興を心からお祈り申し上げます。

 東北大震災が起きた当時、相談はあっても受任には至らないような毎日で福島の親戚です

ら何の役にも立てなかったのでした。同期の社労士の方でボランティアに行かれたことを集ま

りで知り、自分の不甲斐なさを恥じたものでした。今回は何かしらお役に立ちたいと思いま

す。 

 前回の平成22年の御柱祭を見終えた後は「6年後、自分はどうなっているのだろう」と考え

たものでした。

 政治の世界では民主党から自民党への政権交代や二つの大地震など大きな出来事があ

りましたが、私自身は初めて手術入院したことくらいで6年前の漠然とした不安感とは異なり

地道に良い方向に歩んで来れたと感じます。

 妻の実家からなら日帰りで行けることもあり今回の御柱祭も4月の上社山出し、5月上社里

引きを見に行きました。

 私が御柱祭に魅了される理由は、氏子の皆さんが力を合わせて巨木を曳行される光景が

見られることでしょうか。山出し初日は12,3km(11時間位)は御柱と一緒に動画を撮りなが

ら歩きました。

 出発前の神事から見ようと予定していたのに間に合わなかったので先頭の旗が見えると、

重い方は連れに持たせ思わず手持ちのカメラを持って駆け出してしまいました。

 5月の里引きでは、前宮の急な坂や石段を上る様子を見ることが出来ました。特に、一番

最初の前宮一の御柱が一気に上がって行き拍子抜けしたのですが、その後の3本を見ると

と如何に早かったことか。(前の柱がないこともあるのかも知れませんが)

 今回は建御柱を見ることができなくなりましたが、前回同様本宮一を見る予定でいました。

予定通りだったら、恐らく事故の光景も見た(録画した)可能性もありましたが、そうならなくて

て良かったと思いました。お亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈りします。

 下社の建御柱から1週間が過ぎましたが、今年は秋からの小宮の御柱祭も見に行きたい

(許されれば参加も)と考えています。

2015年4月29日 (水)

ハーフマラソン初参加

Img_0890_2

地元で第1回見附刈谷田川ハーフマラソンが開催され、初参加しました。2時間5分で完走で

きました。

村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」を読み、心身ともに健康であるため

にと走り出してから半年、2時間切れなかったけれど初参加と言うことで良しとしましょう。

スマホアプリで練習しているよりもレースではペースが上がり、キロ5分台で走り何度もペース

を押さえるようにしました。

ゴール前の上り坂は踏ん張れませんでした。今後の課題です。

次回は6月上旬開催の上越のロードレース・ハーフマラソンに申し込みました。2時間切りを目

標にしたいです。

ノーベル賞の山中先生は京都マラソンでサブフォー達成されたようですが、文武両道です

ね。すごいですね。

いずれ私もと思いますがフルマラソンエントリーは今年中に達成できるのでしょうか?

«新潟県の精神疾患障害基礎年金受給率の逆格差問題

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ